2022-06-28_Fatal error

躁かな?と疑うぐらい元気いっぱいに「すべて」をやりながら過ごしていますが、「すべて」をやっていると当然考えること・やることの総量が膨れ上がるので本日早速パンクしそうになり、柄にもなくやる気になっている仕事の山積みのタスクを全てスライドさせて頭を抱えながら定時で帰ってきた。脳内の散らかりようが酷くて、このままだとエントロピーが近いうちに最大化して熱力学的な死を迎えそう…!という危機感から久しぶりにwordpressを開いたら「致命的な誤り」というタイトルだけの下書きがあり、何らかのメッセージ性を感じて続きを書き始める。

fatal error はPHPなどのプログラムの処理が失敗して終了するような「致命的なエラー」のことを指すらしいのだが、響きに妙な甘美さを感じてメモっていたのだ。「fatal」は「致命的な:死が不可避であることを暗示する」の意だけれど、同時に「運命の、宿命的な」の意でもあるし、よく考えなくても femme fatale の fatale と同じ語源だし(ラテン語:fātālis)免れがたい魅力があるのは当然だった。どうでもいいけどCambridge Dictionary が勝手に気を利かせて教えてくれたところによると、中国語だとfemme fatale は禍水紅顏(红颜祸水)だそうです。いいねえ禍水、さすが美人を傾城と呼ぶ言語。禍水で傾城で傾国の女として生きたい。そして leading men into danger したり causing their destruction となったりしたいね。deconstruction でもいいけどさ。

fatal といえばちょうど今日考えていたけど、「運命」って割とありふれていて、犬も歩けば棒に当たるって感じで運命に当たるもんだなって。運命は棒。ちなみにここで勢いよく脱線すると中国語で棒は「すごい」みたいな意味らしいので、つまり棒棒鶏って「すごいすごい鶏」(めっちゃ偉大な鶏?)ってことじゃん!って発見して嬉しくなりました。やっぱ中国語勉強したいな、妙に詩的な中国語のレビューを目にしてからずっと思っている。

犬も歩けば当たる運命ですが、久しぶりにマッチングアプリに取り組み、大勢の人間とやり取りをして電話をしたり会ったりしている中で、私が相手に運命を感じることもあれば・相手が私に運命を感じていることもあって、でもそんな勝手な「運命」なんて fatal でも何でもなく、命を落とすこともなく変わらず日々は続行されていく。過去に感じた「運命」も実はそんなに大層なものじゃなくて、たまたま道端でぶつかった謎の棒みたいなものだったのかもしれない…とここまで書いてから、過去の自分が男性のことを「棒」呼ばわりしたりしていたな…ということを思い出してうっかり下品な方向に足を踏み外してしまうところだった!危ない危ない!と思いつつ、ここはいっそ踏み外していく。

男のことを「棒」呼ばわりするのは安部公房っぽさがあって嫌いではないというか割と好きなのだが、その一方で中国語で「棒」がすごいとか偉大みたいな意味であるということを踏まえるとそう呼ぶのも癪に感じてしまう。なあに?この誰にも理解されない無駄な葛藤。こういうことを無駄に考えたりしていると人生の複雑さを無駄に増加させることができます。無駄ってつくづく人生の豊かさだよね、俺はこうして豊かに生きていきます。皆さんも人生どんどん歩いて棒にぶつかっていってくださいね、良きにせよ悪しきにせよ豊かにはなると思うので。