2021-02-05_路上

先週の金曜日も「ヨーシもうこの続きは来週気合い入れてしっかり働こ!今日はもう週末を始める!!」といって早々と終業した気がするのだが、全然週が明けて月曜日になっても気合いが入ることはなく、同じように「ヨーシ来週がんばろ!」と言って今週も終業した。やる気が行方不明だからいい加減ブルシット・ジョブでも読もうかな。デヴィッド・グレーバーといえば、私の大好きなベル・フックスからも影響を受けていると聞いて意外だったんだけど、どの著作ならその影響を窺い知れるんだろうか。

今週は、今一番面白い雑誌こと『福音と世界』の2月号「惑星の蜂起」特集を読んだ。政治を「語る」ことは、統治する者と同じ言語を使うことは、支配する側と同じ視点を内面化することにつながっていないだろうか。ある目的達成のために手続きを踏み、合理的に物事を進めていくことは、新たな別の「体制」を作るだけなのではないか? …おやおや、これもまた滅茶苦茶バタイユが唱えていたことっぽいですねえ。(いつでもバタイユのことを想う人間)

秩序立った言葉や図像は、気づかぬうちに少しずつ自然全体を有益性に従属させている一体系の、われわれの内面における継承者であるのに、その言葉や図像にまで不服従の姿勢が及ばないのだったら、その不服従は、単に外的な諸形態(政府とか警察のような)への拒否ぐらいに留まってしまう。現実の世界への信頼、というよりむしろ隷属は、これに一点の疑いも持たないのだったら、いっさいの隷属の基底になってしまう。自分のなかで言語の絆を断ち切るという欲望を持っていない人を、私は、自由な人だとみなすことはできない。ただしもちろん、われわれ自身の存在を何ものにも従属させないという配慮をできるだけ遠くへ推し進めるためには、一瞬のあいだ言葉の帝国から逃れるというだけでは不十分なのだ。

ジョルジュ・バタイユ「半睡状態について」『ランスの大聖堂』酒井健訳,ちくま文庫

今年の私のテーマは「言語・法・暴力」ですが、わたしが言語について勉強しよ〜と思ってるのはこのバタイユの影響が大きいですね。去年のよかった本リストに入れた『ウェブスター辞書 あるいは英語をめぐる冒険』とかを読んで言語の帝国主義的な側面を考えたこととかも勿論あるんだけど。あとはソ連の言語政策、スターリン言語学、そして言語とジェンダーの話とか…。全然バタイユだけじゃなくてトピックスいろいろあったわ。勉強しよ。あとは普通に英語とフランス語できるようになりたい。かつ、言語活動から自由になる試みとしてのダダイズムでしょうか。正直なところ言語から自由になる前に、まずは言語を意のままに操縦できるようになりたい気持ちの方が大きいですが。

「蜂起」特集なので、ブラック・ライヴズ・マター、フランスの黄色いベスト運動や、香港のブラックブロック活動などなど、最近世界各地で起きている民衆による運動を取り上げながら、目的を達成するために統制を必要とする20世紀の「革命」とは違う形をとる、より開かれた闘争の過程を含む「蜂起」という概念について論じられており面白かった。香港のブラックブロックとか、SNSに「○月○日、近所のXに集合。ブラックブロックとして行動します」と書き込むだけで人が集まって、そのまま蜂起活動に突入するらしい。そしてひとしきり暴れたらそのまま解散して、特に反省会とかもしない。なんども集まってるうちにだんだん顔見知りになってくるらしい。すごいな Clubhouseなのか? そしてフランスのジレ・ジョーヌによる暴動の描写がよかったので読んでよ。

監視カメラをたたきこわす。銀行や不動産屋から書類をもちだす。路上にばらまき火をはなつ。「美しい!」と声があがる。車も燃えあがり、機動隊にはロケット花火をうちこむ ––二〇二〇年一二月五日のパリの光景です。

白石嘉治「青空と文字のあいだで––われわれの蜂起を肯定するために」『福音と世界』2021年2月号,新教出版社

この箇所読んで、こんなの完全にケルアックの『路上』だ〜〜!!!となってしまった。

ぼくにとってかけがえのない人間とは、なによりも狂ったやつら、狂ったように生き、狂ったようにしゃべり、狂ったように救われたがっている、なんでも欲しがるやつら、あくびはぜったいしない、ありふれたことは言わない、燃えて燃えて燃えて、あざやかな黄色の乱玉の花火のごとく、爆発するとクモのように星々のあいだに広がり、真ん中でポッと青く光って、みんなに「ああ!」と溜め息をつかせる、そんなやつらなのさ。

ジャック・ケルアック『オン・ザ・ロード』青山南訳,河出文庫

『路上』はあんまり話は覚えてないのだが、なんか綿花畑で毎日綿を摘んで、その日もらったお金でその日食べるものを買うというマジのその日暮らしを彼女(?)としていて、綿花畑の近くの納屋的な場所で天井のタランチュラ(?)に見守られながらセックスするというシーンがあって、これがわたしの「文学上の好きなセックスシーンランキング」にランクインしてるセックスのひとつです。あとは『百年の孤独』で浴室の天井を突き破って男が侵入してきて、そのまま蠍と黄色い蛾に囲まれながらセックスするシーンもランクインしてるというか1位です。なんだ? 私は鋏角類に見守られながらセックスをしたい欲望でもあるのか?? 何の欲望?? 途中で離脱してた『コレラの時代の愛』も最近また再開して読んでるけど、やっぱりガルシア=マルケスの書くセックスシーンは勢いがあっていいなぁと思っています。

びっくりするほど脱線したが、何かを読んでると必然的に脱線するので、脱線する過程で読みたい本が出てきてそれを読むとまた脱線して、そこからさらに新たに脱線して脱線してまた脱線するので、本当に本読んでると無限に忙しくなるんですよね。もう少し脱線せずにひとところに留まって思考を深める活動がしたいのだが、無限に流されてしまう。最後にもう1箇所脱線すると、『福音と世界』のマニュエル・ヤンの連載もなかなか面白くて、その中でイギリスのマルキシスト歴史学の権威 E・P・トムスンがヘンリー・ミラーをこき下ろしていたらしいのだが、いやヘンリー・ミラーはアメリカの資本主義文明や国家暴力を『南回帰線』とか『冷暖房完備の悪夢』で糾弾してたしいいじゃん!って異議を申し立てててよかった。ヘンリー・ミラーは『北回帰線』を挫折したし全然読んでないんだけど、『冷暖房完備の悪夢』は完全にタイトルで買ったら予想外にめっちゃ良くてよかったです。エッセイ集なので全部ではないが、アメリカを車で旅行しながら見たアメリカのおかしな光景や、異常な人間のエピソードや、アーカンソーの巨大ピラミッド計画の話とか、あとはひたすらアメリカの悪口を書いてて個人的にはかなり好きでした。やっぱ車でアメリカを旅する話は面白いんだよな。あーあ、アメリカを車で旅してモーテルを泊まり歩きたい。では。

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