21-01-25_命の光、腰の炎(1)

「我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂」といえば『ロリータ』の冒頭ですが、今日は「男の性欲(マスターベーション)と女の生理」の話がツイッターで(また)燃えているのを目にし、そのとき当たり前のことかのように無視される女の性欲とマスターベーションに思いを馳せていたところにツイステッドワンダーランド君の新ストーリーがぶっ込まれたので精神に混乱をきたしてしまった。最近ささやかに推していた推しカプが無慈悲な公式によって爆散したのである。しかしまぁ「命の光、腰の炎」って推しと性欲の話だと思えばこんなに今の精神状況にぴったりなフレーズはないな。ロリータといえば「魅惑の狩人」ですしね…。ウッッッッ ルーク・ハント…。わたしはロリータのことをロードムービーの一種だと思ってる節があるので、ロリータのことを考えるとアメリカを車で旅してモーテルに泊まってまわりたい気持ちしかなくなってしまうが、今日はそこに脱線しないようにひとまず「性欲」に集中したい。

女の性欲を管理するベールの向こうには、政治のほんとうの目的が隠されている。それは、男らしさを非社会的で衝動的かつ暴力的なものにすることだ。レイプはなによりもまず、「男の性欲は本人にはどうすることもできず、男はそれを制御することができない」という認識を伝える媒体の役割を果たす。「娼婦がいるから、レイプが増えずに済んでいる」といまだによく聞く。まるで、男は我慢することができないから、どこかで発散する必要があると弁護するかのように。これは人為的につくられた政治的信念であって––世間が私たちにそう信じ込ませようとするような––自然なものでも本能的なものでもない。もしほんとうに、テストステロンのせいで男が制御不能の衝動をもった動物なのだとしたら、男たちはレイプするのと同じくらい気軽に殺人も犯しているはずだ。しかし実際にそうではない。男らしさについての言説は、暗黒時代の遺物そのものだ。レイプという非難されるべき行為、語られることのないこの行為は、男らしさの根底をなすさまざまな信念をつくりあげている。

ヴィルジニー・デパント『キングコング・セオリー』相川千尋 訳,柏書房

なんか急にレイプの話を引用してしまったが、今日炎上していた「男の性欲と女の生理もどうしようもなく訪れるという意味では共通性がある!!」ってやつも「男の性欲はどうしようもなく訪れて、発散する必要があるんです!!!」っていう家父長制社会によって構築されて勝手に社会的な了解とされているものであって、それが風俗や浮気やレイプの言い訳として利用される常套句であり根底にある信念だから怒られているんだろという。えっマジで女の生理とどのへんに共通性があるって???? I beg your pardon????? いまもう一回当人のついった^見に行ったら自分に同情して・擁護してくれる人たちのツイートRTして「わかってくれる人はわかってくれてるからいい」「一つの考察を日常の合間に行っているだけなのに、寄ってたかって罵詈雑言を言うという暴力性〜」とか言ってて眩暈がしちゃった。ゲロ。Fu*k.(※ちなみにNetflixの卑語の歴史のやつかなり面白いです)

なぜ男性が「男の性欲」と「女の生理」を並べたがるのかというのは、シスジェンダー女性である私には謎だし想像でしか述べられないが、「女は生理でこんなにつらい思いをしている!!!」ということに対して「男だって同じぐらいつらいことありま〜〜す!!!ぴっぴろぴ〜〜〜!!!」と主張することで、ある種の公平感を演出して自らの罪悪感を紛らわしたいということなんじゃないんですかね。そんなものをこちらは全く要求していないし、実際のところ全然比較になっていない「公平感」、気休め、それも特に害を被っていないマジョリティ側の精神をヨシヨシするためだけの。人間、基本的に罪悪感が嫌いだし、自分に罪悪感を覚えさせるものを嫌悪する傾向があるよね、フェミニストが嫌われるのってそういう理由も大きいだろうなと思っている。良心的で理知的なリベラル男性もジェンダーの話になると途端にバグったりするのも、普段自分は「理解があるリベラルな人間」だと認識していたところに、突然自分が認識していなかった「特権」を持っていて実は「構造的な加害者」だったのだということを思い知らされ・断罪されている気分になるというというのが、かなりダメージになるんでしょうね。知らんけど。

ジェンダーに限った話ではなく、基本的に「マジョリティ」側の人間が「マイノリティ」が声を上げたときにやたら過敏な拒否反応を見せたりするのも、同じメカニズムだと思う。人間誰しもマジョリティ的な側面とマイノリティ的な側面があると思うし、自分が「構造的な加害者」になっていることは常にありえるので、そこは注意していないといけないし真摯に受け止める必要はあると思うんだけど、ある人間がたまたまマジョリティに属しているのは基本的にその人間の責任ではないし、別にそのこと自体を非難されているわけではないはずなんですよね。だから別に罪悪感を感じて取り繕う必要だって本来はないはずなんだけど、自分がマイノリティであったり・そういったことに意識的であると自認している場合、その自認とのギャップが大きくなりやすいので同時にダメージも大きくなるし、なんかこうバグってクラッシュしてしまうんでしょうね。その仕組みも気持ちもわからなくはないが、しかし良心的で信頼できそうな人間がそういう反応を見せるのがこちらとしてもショックなので、やっぱりフェミニズムとかジェンダーの話とかに触れるのって怖いな、最近は思ってしまっている。

おっと全然性欲の話じゃなくなってしまった上に0時を回ってしまった…。
性欲と推しの話、明日に続く(続け)。