21-01-13_幸福の代償

愉しく、平穏で幸福な週末の代償として順調にIQが下がっているのですが、結構マジで危機感を覚えてきた。そしてこれもIQが下がった影響か知らないが 何もしてないのに(※何かはした)WordPressがおかしくなってしまい、原因はわからないし・ググってもWordPress使ってる人間にはバカしかいない様子だし・泣きながらデータエクスポートしてWordPress丸っと削除して再インストールしてなんとかなった。俺はすぐに力技でなんとかする。

昔はデートの議事録を書いたりしていたが、気がつくと時間が飛んでいて週末が終わっているので議事録をつけるとかいうどころの騒ぎではない。ほんとうに真剣に困っています。恋愛は油断すると無限に時間が溶けるので、「形而上で愛し合える遠恋こそ至高」と言っていた友人の正しさを思い起こす。しかしすでにここまでIQが下がってしまうとおそらく会わなくとも(むしろ会わないほうが)ぼーっとして時間をつぶすので、すでに手遅れ・打つ手なし。

そしてあの素敵な、あちこちを軽やかに動き回っていたクララ・ヴェストフが静かになってしまい、かつての、嵐の風のようなさざめきも彼女からは聞かれなくなってしまった……。こんなことがあっていいはずがない。少なくとも、こんな状態が続いてはいけないんだ。

インゲ・シュテファン「クララ・ヴェストフ=リルケの生涯と作品」『才女の運命 男たちの名声の陰で』松永美穂 訳,フィルムアート社

週末に料理をしたり、皿を洗ったり、掃除をしたりしていて、ふと(こういうことに満足感を覚えていると自分がだめになってしまうな)と直感した。多分いままでの人生で恋人のために家事をするという経験をほとんどしてこなかったせいで物珍しさがまだあるのと、「家事をしない女」として蔑まれてきた(そもそもしない自分が悪いのだが)コンプレックスに対する「いや私もふつうにできるやんけ」という満足感があり、予想外にかなり気分がよくなってしまったのだ。自分がこんな風に感じるとは思っていなかったからショックだったし・即座に警戒態勢に入った。

「恋人のために」というところが既にかなり怪しくない?? 思うに片付けとか掃除とかって、その場にいる人間の中で〈気になる〉閾値が低いほうが気になるが故にやるんであって、単に自分のためなのにそれを「相手のため」とか言って転嫁すると碌なことにならない予感がする。勿論もっと純粋に「相手のため」に何かするということはあるだろうけど、それもまた相手から見返りを求める気持ちに繋がってしまうと不穏だ。というか人間であれば繋がらざるをえないはずだし、そもそもそのために尽くすのでは? 見返りを求めない純粋な「献身」なんてあり得るのか? 特に二者間の関係性の中で? これはまさに「贈与論」の話になるので、「贈与日記」というタイトルの意味が突然増してきたな。

まぁとにかく私は、見返りを求める気持ちがあって「相手に尽くす」のってかなり身勝手な行為なんじゃないかと思ってしまう。頼んでないのに勝手に尽くしてきて「私はこんなにあなたに尽くしてるのに!!」って爆発するみたいなのは困るよね。頼んでないのに着払いで大量にピザが届いちゃったみたいな感じ(?) これは近くにいるスーパー献身的なタイプの女の破局パターンを見ていて学習した内容であって、私はそもそも他人に尽くしたことがないような気がするので、どちらかというと私はそんなことに気を揉んでないでまずは素直に「相手のため」のことをもっと考えろよという気はしている。

なんか書きたいことが全然思い浮かばなくて、日記すら書けなくなってしまったかもしれない…と落ち込んでいたが、勉強したい気持ちも回復してきたので安心した。幸福は幸福なので、それはより一段と良いものになるよう大切にしつつ、自分の中の嵐の風のようなさざめきも凪いでしまわないようにバランスを取っていきたいところ。