20-12-18_あのことを思い出そう

ラドヴァン・イヴシックの『あの日々のすべてを想い起こせ アンドレ・ブルトン最後の夏』を読んだ。件のアンドレ・ブルトンに粘着してた男性の本ですけど、正直そこまで粘着質にストーキングしたりしていたわけではなかったです。でもこの男も初めてブルトンに自分の書いた戯曲を見せる時「これは命に関わる」って言ってて、『プレゼント・ラフター』に出てきたオタサーの姫の男・ギャリーの大ファンのモール君みたいだった。『プレゼント・ラフター』まじであと100回見たい。

男はそ〜〜うやってすぐ命に関わる…(BL)

残念ながら『プレゼント・ラフター』はやらないのですが、池袋でNTLのアンコール特集やるようなのでどうぞ。『リーマン・トリロジー』もマジで傑作だったのでもう一度見たいが、私はステイホームしているのでな……。

『あの日々のすべてを想い起こせ』は、タイトルの通りアンドレ・ブルトンの晩年をすぐ近くで過ごした著者が、アンドレ・ブルトンを看取ることになる最後の夏のことを追想するエッセイ。詩人・劇作家・翻訳家であるラドヴァン・イヴシックは、当時共産主義政権の圧政下にあったユーゴスラヴィアで、著作はいわゆる「退廃的芸術」だとされて発禁にされ、フランスや他国の出版にも触れられず、パスポートを得ることも難しいような「鉄のカーテン」の東側で暮らしていた。あるとき不思議な縁からパリに逃れることができ、さらに様々な「偶然」から憧れのアンドレ・ブルトンと知り合うことになり、当時すでにほとんど「過去のもの」になっていたシュルレアリスムの会合にも頻繁に顔を出すようなる…。しかし1920年代は輝かしいばかりだったブルトンの威光が弱まり、まさに太陽が沈んでいくかのような晩年の様子を読んで切なくなってしまった。

20〜30年代は激しくぶつかり合っていたバタイユとブルトンは、晩年には争うこともなくなり、むしろお互いを理解し・認め合う仲になっていたんだけど、この本には全然バタイユのバの字も出てこないので(そうか〜〜)と寂しく思っていたら訳者の後書きに少しだけ出てきた。(またバタイユの話をする人)

私は深く納得するとともに、ブルトンとバタイユが互いに深く理解しあっていたことを引き合いに出した。

すると彼女はこう切り出した。「もちろん互いに尊敬しあっていました。しかし六〇年代は、バタイユ人気が絶頂を極めていました。これはバタイユの思想がマルセル・モースとの関連でアカデミズムに高く評価され、コレージュ・ド・フランスの社会人類学で大きく喧伝・称揚されたせいなのです。一方、アカデミズムとはまったく無縁のブルトンは、すでに過去のものという扱いを受けていました」。

松本完治「屈せざる孤独の森 –ブルトンとイヴシック」
ラドヴァン・イヴシック『あの日々のすべてを想い起こせ』松本完治 訳,エディション・イレーヌ

なんかもうめちゃくちゃ寂しいですよね。出会った頃はブルトンにほとんど話しかけることすらできなかったバタイユが一躍大人気になって、シュルレアリスムの「法王」として君臨していたブルトンがすっかり「過去の人」になってしまっていて、、、。
この本の中で、シュルレアリストの一人がフーコーの当時出たばかりだった『言葉と物』をもてはやしているのをブルトンとイヴシックは凄く否定的に見ていて、その時点でもブルトンはヘーゲルにある種の忠誠を誓っているからなんだけど、なんかその辺もまた妙に切なくさせるものがあるよな。しかしフーコーまったく読んでないけど、『言葉と物』でボルヘスの例の「中国のある百科事典」を引用してるし、バタイユのことを「今世紀の最も重要な書き手の一人」と言っているし、意外と私はフーコーと気が合う可能性があるのではないか。(気が合う?)

「あのことを思い出そう、すべてをよく思い出すんだ」、彼が繰り返すこの言葉が、私の脳裏からまったく離れなかった。

ラドヴァン・イヴシック『あの日々のすべてを想い起こせ』

そもそもこの本はタイトルが最高じゃんと思って買ったんですけど、これは病気の症状が進んで、自分の頭脳に、記憶にダメージが及んでいるのではないかと不安に怯えるブルトンの言葉から取られてるんですね。私はいったい誰なのか? 私は確かにアンドレ・ブルトンだった。「あのことを思い出そう、すべてをよく思い出すんだ」。
そしてイヴシックも、ブルトンとの間にあった強い友情と信頼が「あの日々のすべてを思い出そう、出来事を一つも忘却することがあってはならない」という要請になってこの本を書いたわけで、ひどい「思い出したがり」の私としてはジーンとしてしまった。

この間まだ謎の多い恋人に「君はどんな人間なの」と聞いてみたところ、「過剰に所有したくない人間です」と返ってきて、とりあえず彼のことを1つ知れてよかったんですけど、私もどんな人間なのか聞かれたので「何も忘れたくない人間だ」と答えた。(「なんでも記録したい」と言ったかもしれないけど、記録したいとはつまり「忘れたくない」ということなので)
私が「何も」って言ったら、それは本当に「何も忘れたくない」んだよ。どんな瞬間がうれしかったとか、自分がなんて言った後に笑ったとか、そういうふとした瞬間、空気、感触、全部覚えていたいのに全部忘れてしまうの、本当に悲しいから。こないだ引用したバタイユ言語は行動をめざす。行動の目的は失われた幸福をもう一度見出すことだ。の通りで、その瞬間を取っておきたいがために書く、という側面は結構大きいのだけれど、言葉にした時点で失われてしまうものがありますのでね、これがエクリチュールの暴力だとデリダが言ってるやつ。

やっぱあれですね、恋愛モードになるとデリダとかレヴィナスとか急に張り切って出てくる感じがしますね。

20-12-17_What doesn’t kill you

一昨日の続き。一昨日はタイトルに「唯物論」とつけたぐらいだからバタイユの「低い唯物論」の話とか、シュルレアリストやバタイユ達のイメージの政治学的な話をしたかったのに、それに至る前段の部分で力尽きてしまった。じゃあその続きを書くかというと、続きではあるけど違うことを書きます。今日は一昨日ではないので。

BRUTUSとバタイユの件を知らせてくれた友人に感想の代わりに中途半端な日記を送りつけたところ、自分も社会運動としてのシュルレアリスムはギィ・ドゥボールとシチュアシオニストの前史として気にしてると教えてくれたのでまた勉強したいことが増えましたね。ギィ・ドゥボールは名前はなんかチラチラ聞いたことがあるが立ち位置が全然わかってなかったし、クソバカなのでシチュアシオニストってシオニストの親戚かと思ってたよ。急にパレスチナの話かと。アンリ・ルフェーブルの『日常生活批判』もこの流れなのか。『日常生活批判』読みたいです。

シチュアシオニストの知的基盤は主にダダを初めとする前衛芸術運動から派生しているとのことで、そういえばバタイユも「自分はシュルレアリストというよりはどちらかというとダダイスト的だった」ってどこかで言ってたよなというのがあり、ここは私もダダイストを目指すか??と思いながら自分のTwitterのいいね欄整理してたら「ダダイストでも作れる大人数の食事」というnoteを過去にいいねしていていつものことながら先見の明があった。

自分はダダイストを名乗っている。一般的にダダイストに期待される料理とは青いご飯とかピンクのカレーとかだろうが、その手の期待にわかりやすく応えてはならない。自分は合宿の学生諸氏が出会う生まれて初めての生きたダダイストであるかもしれず、自分の振る舞いが今後の彼らのダダ理解に影響を及ぼす可能性が高いため、青いご飯を炊きたいなどという私的な欲求はこれを禁欲せねばならない。ダダは、広く信じられているように、私的な内面の欲望の爆発ではない。歴史の必然だった。ダダイストは必然に従って行動する。

山本桜子 「(2019年)ダダイストでも作れる大人数の食事」

「ダダイストは必然に従って行動する」、かっこいいですね。
よしトリスタン・ツァラでも読んでみるか…って思いながらもとりあえず例のアンドレ・ブルトンに粘着してた男性の本を読んでたらタイムリーに糾弾されてたのでウケちゃった。ツァラはスターリニストだったの? バンジャマン・ペレはスターリニストになったこの元ダダイストを追いかけ回してサン・ジェルマン・デ・プレの満員のカフェテラスの前で罵倒したいそうです。そうですか…。ツァラのこと何も知らんからいったん保留にしますが、ペンネームの意味が「故郷で悲しむ者」なのはいいよね。

あとBRUTUS読んでて、これも前に聞いていたのだが千葉雅也が「今こそニーチェ、マルクス、フロイトを読もう!」というコンセプトで選書していて、私もちょうど今こそニーチェ、マルクス、フロイトだなと思っていたのでバイブスが合うね〜と思った。
まあ今年読んでたバタイユも(ついでにブルトンも)その辺から直に影響受けてるというか・引き継いでるようなところがあるわけだから読まなきゃなとなるのは当然なのだが、しかしニーチェを薦めるのってかなり危うい行為でもあると思うんですけどどうなのかな。お前はニーチェの何を知ってるんだと言われると知らんけど、なんかニーチェって右翼からも大人気みたいなところあるし(実際ファシズムはニーチェを利用しようとしていたわけで)そしてバタイユはそれにブチ切れまくっていたんですけど、ニーチェを薦めるならバタイユみたいに激怒しながら説明する必要があると思うんですよね。安易な「超熟・ニーチェの言葉」(超熟ではない)的な受容ならすべきじゃないような気がするんですけど、まぁ私もニーチェの入門系の本とか読んだことないしついでに読んでみようかしら。ハローキティちゃんのニーチェもあるよね、私は昔『マイメロディの論語』を買ったけどクソすぎて本当に面白かった。超訳すぎる。

ニーチェといえば前にTwitterで見かけた「80年代末から90年代にかけて、アメリカ・ミステリに出てくる連続殺人鬼はどいつもこいつも「ニーチェの超人思想の信奉者だった」」という話が面白くて印象に残っている。

「What doesn’t kill you makes you stronger」、マジでこんなんまさに某G冬社のカリスマ編集者(?)とか好きそうだもんね。「死ぬこと以外かすり傷」的価値観。
ニーチェの引用元は明確にはわからないが『偶像の黄昏』っぽいです。

この話もたぶんあって、私はアメリカにおけるニーチェ受容に地味にずっと興味があって、読みたいなーという本は目星をつけているのだが全く読めてないよね。なんかもう忘れたけど「暗黒啓蒙」とかもその系譜じゃないですか?なんかニーチェが〜みたいな話があった気がする。「暗黒啓蒙」は全然興味ないです、純粋に厨二病っぽい。

ニーチェの教えがつくりあげる信仰は、そのセクトあるいは「教団」の支配的な意志が、人間の運命を、生産による理性的な隷属からも過去への非理性的な隷属からも解き放ち、自由にするようなものになるだろう。転倒された諸価値が有用性の価値に縮小されてはならないこと、それは決定的に重要な、焼けつくほどに重要な原則であって、その原則は、生がもたらす勝利への猛々しい意志のすべてを一緒にかきたてずにはいないだろう。こうした明白な決意がなければ、ニーチェの教えは、それを尊重すると主張する人間達の軽率な行動や裏切りのかずかずを生み出すだけにおわるだろう。奴隷化は人間の実存全体を包み込もうとしており、賭けられているのは、その自由な実存の運命なのである。

ジョルジュ・バタイユ「ニーチェとファシストたち」『無頭人』兼子正勝 中沢信一 鈴木創士 訳 ,現代思潮新社

なんか毎日バタイユの話してるから日記の名前「まいにちバタイユ」とか「バタイユといっしょ」とかにしようかな。