ラドヴァン・イヴシックの『あの日々のすべてを想い起こせ アンドレ・ブルトン最後の夏』を読んだ。件のアンドレ・ブルトンに粘着してた男性の本ですけど、正直そこまで粘着質にストーキングしたりしていたわけではなかったです。でもこの男も初めてブルトンに自分の書いた戯曲を見せる時「これは命に関わる」って言ってて、『プレゼント・ラフター』に出てきたオタサーの姫の男・ギャリーの大ファンのモール君みたいだった。『プレゼント・ラフター』まじであと100回見たい。
男はそ〜〜うやってすぐ命に関わる…(BL)
残念ながら『プレゼント・ラフター』はやらないのですが、池袋でNTLのアンコール特集やるようなのでどうぞ。『リーマン・トリロジー』もマジで傑作だったのでもう一度見たいが、私はステイホームしているのでな……。
『あの日々のすべてを想い起こせ』は、タイトルの通りアンドレ・ブルトンの晩年をすぐ近くで過ごした著者が、アンドレ・ブルトンを看取ることになる最後の夏のことを追想するエッセイ。詩人・劇作家・翻訳家であるラドヴァン・イヴシックは、当時共産主義政権の圧政下にあったユーゴスラヴィアで、著作はいわゆる「退廃的芸術」だとされて発禁にされ、フランスや他国の出版にも触れられず、パスポートを得ることも難しいような「鉄のカーテン」の東側で暮らしていた。あるとき不思議な縁からパリに逃れることができ、さらに様々な「偶然」から憧れのアンドレ・ブルトンと知り合うことになり、当時すでにほとんど「過去のもの」になっていたシュルレアリスムの会合にも頻繁に顔を出すようなる…。しかし1920年代は輝かしいばかりだったブルトンの威光が弱まり、まさに太陽が沈んでいくかのような晩年の様子を読んで切なくなってしまった。
20〜30年代は激しくぶつかり合っていたバタイユとブルトンは、晩年には争うこともなくなり、むしろお互いを理解し・認め合う仲になっていたんだけど、この本には全然バタイユのバの字も出てこないので(そうか〜〜)と寂しく思っていたら訳者の後書きに少しだけ出てきた。(またバタイユの話をする人)
私は深く納得するとともに、ブルトンとバタイユが互いに深く理解しあっていたことを引き合いに出した。
すると彼女はこう切り出した。「もちろん互いに尊敬しあっていました。しかし六〇年代は、バタイユ人気が絶頂を極めていました。これはバタイユの思想がマルセル・モースとの関連でアカデミズムに高く評価され、コレージュ・ド・フランスの社会人類学で大きく喧伝・称揚されたせいなのです。一方、アカデミズムとはまったく無縁のブルトンは、すでに過去のものという扱いを受けていました」。
松本完治「屈せざる孤独の森 –ブルトンとイヴシック」
ラドヴァン・イヴシック『あの日々のすべてを想い起こせ』松本完治 訳,エディション・イレーヌ
なんかもうめちゃくちゃ寂しいですよね。出会った頃はブルトンにほとんど話しかけることすらできなかったバタイユが一躍大人気になって、シュルレアリスムの「法王」として君臨していたブルトンがすっかり「過去の人」になってしまっていて、、、。
この本の中で、シュルレアリストの一人がフーコーの当時出たばかりだった『言葉と物』をもてはやしているのをブルトンとイヴシックは凄く否定的に見ていて、その時点でもブルトンはヘーゲルにある種の忠誠を誓っているからなんだけど、なんかその辺もまた妙に切なくさせるものがあるよな。しかしフーコーまったく読んでないけど、『言葉と物』でボルヘスの例の「中国のある百科事典」を引用してるし、バタイユのことを「今世紀の最も重要な書き手の一人」と言っているし、意外と私はフーコーと気が合う可能性があるのではないか。(気が合う?)
「あのことを思い出そう、すべてをよく思い出すんだ」、彼が繰り返すこの言葉が、私の脳裏からまったく離れなかった。
ラドヴァン・イヴシック『あの日々のすべてを想い起こせ』
そもそもこの本はタイトルが最高じゃんと思って買ったんですけど、これは病気の症状が進んで、自分の頭脳に、記憶にダメージが及んでいるのではないかと不安に怯えるブルトンの言葉から取られてるんですね。私はいったい誰なのか? 私は確かにアンドレ・ブルトンだった。「あのことを思い出そう、すべてをよく思い出すんだ」。
そしてイヴシックも、ブルトンとの間にあった強い友情と信頼が「あの日々のすべてを思い出そう、出来事を一つも忘却することがあってはならない」という要請になってこの本を書いたわけで、ひどい「思い出したがり」の私としてはジーンとしてしまった。
この間まだ謎の多い恋人に「君はどんな人間なの」と聞いてみたところ、「過剰に所有したくない人間です」と返ってきて、とりあえず彼のことを1つ知れてよかったんですけど、私もどんな人間なのか聞かれたので「何も忘れたくない人間だ」と答えた。(「なんでも記録したい」と言ったかもしれないけど、記録したいとはつまり「忘れたくない」ということなので)
私が「何も」って言ったら、それは本当に「何も忘れたくない」んだよ。どんな瞬間がうれしかったとか、自分がなんて言った後に笑ったとか、そういうふとした瞬間、空気、感触、全部覚えていたいのに全部忘れてしまうの、本当に悲しいから。こないだ引用したバタイユ「言語は行動をめざす。行動の目的は失われた幸福をもう一度見出すことだ。」の通りで、その瞬間を取っておきたいがために書く、という側面は結構大きいのだけれど、言葉にした時点で失われてしまうものがありますのでね、これがエクリチュールの暴力だとデリダが言ってるやつ。
やっぱあれですね、恋愛モードになるとデリダとかレヴィナスとか急に張り切って出てくる感じがしますね。