もう既に恋人関係は終えた元彼に、私の最後のわがままとして、木綿のハンカチーフの代わりに「私たちの良かった頃、いつも過ごしていた通りの普通の週末」を要求した。久しぶりに夜は一緒に料理をすることにしたので、駅前のいつものスーパーで待ち合わせる。いつも通り、彼は少し遅れてくる。
前に同じようにスーパーで待ち合わせた時、遅刻してくる彼に対して私は妙にイライラしていて、合流したら冷やかに皮肉の一つでも言ってやろうと不機嫌に待ち構えていたのだが、センターパートの前髪に私の好きなメタルフレームの眼鏡、私の好きなバンドカラーの黒いシャツ、そしてなぜか小脇にラ・フランスを抱えて少し嬉しそうに登場した彼を見た瞬間、あまりにも好きで、綻ぶ口元を隠すために咄嗟に顔を背けたことを思い出す。その存在を認めただけですぐに許してしまったことが悔しくて、むくれながら肩に頭突きを食らわせたような気がする。
前日に話していた通り、ポルトガル料理を2品–タコのリゾットと、あさりと豚肉のアレンテージョ–を作るための材料をカゴに入れていく。それと翌日の朝ごはん用の食料も。広くて品揃えのちょっと変わったスーパーで、私はここで一緒に買い出しをするのが好きだったのだけれど、ここでこうやって買い物をするのも最後か…と当たり前に寂しくなる。私は「これが最後だから〜」「私と〜するラストチャンス」「最後に〜」とか、とにかくこれが我々の「最後」なのだということを声高に唱えていたのだけれど、彼は「それぐらいは、また今度したらいいんじゃない」とか「やり残したことがあったら、またすればいいでしょ」とかぬけぬけと言うから、なんだか呆れてしまった。お前と結婚して、一緒に生活をして、子を育てるのをやり残しているんだが??? やるか????
スーパーだけでは材料が揃わなかったのでカルディによって調味料を買い足す。なんとなく美味しそうだったスイカのパックジュースを自分の分だけカゴに入れていたら、会計の寸前に俺もやっぱり飲みたいと言って同じジュースを持ってくる。なぜかスイカジュースが計3個になったので「えっ 今日3人いるの??? …もしかして、私が3Pしたいと言っていた夢を最後に叶えてくれるために…??」と感激していると、「それは流石にホスピタリティがありすぎるでしょ…」と苦笑って流された。しかしこれもワンチャン「やり残したこと」として後日回収可能なのだろうか? 彼は賢いはずなのだが時々言うことがガバガバすぎるので、悪い人間につけ込まれないか心配になっちゃうな。世の中は私のように善良な人間ばかりではない。
買い出しを終えていつもの坂道を上って家に向かう。何を話していたかは覚えてないけど、坂の途中にある自販機を覗いたら、よくお風呂上がりに飲んでいたCHILL OUT ドリンクが自販機から消えていたので寂しい気持ちになる。ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし…。
早速手分けして夕飯の支度を進める。玉ねぎをみじん切りにするシーンがあったので、これもラストチャンス!と叫んで、刻んだ玉ねぎ周辺の空気を煽って彼を泣かせようとする。黒目がちな瞳と長い睫毛に溜まる涙。私は涙を流しながら玉ねぎを刻む彼を眺めてお酒を飲むのが大好きだったのだ。
クリスマス前に、台所で洗い物か何かをしながら別れ話の続きをしていたときは、玉ねぎがなくても君はめちゃくちゃ泣いて、顔を埋めた私のトップスをびしゃびしゃにしていたね。多分君が一番泣いたのはあの時だった。
この日の献立のレシピをチョイスしたのは彼だったのだが、全然レシピを読んでいなかったらしく、タコのリゾット50分ぐらい煮るよ と言ったらビビりだして急遽パスタに変更になった。本当にそういうところがある。
あさりと豚のアレンテージョと急遽変更になったタコのパスタが無事出来上がり、ディナーとする。いつもなら映画やらドラマやら何か適当に流したりすることも多かったけれど、せっかくだし今日はやめておくかということで喋りながら夕飯にありつく。が、急に悲しくなったのかここで私に「全然食べられない」が発動してしまい、まじで全然食べられなかった。「全然食べてもらえなくてパスタ担当大臣として悲しい(悔しい?)よ…」と嘆いていて申し訳なかったが、まじで食べられなかった。
そういえば popIn Aladdinにカラオケ追加されたよと言うので、マイクはないが謎にカラオケをする。aikoのカブトムシを歌っているところを動画に撮られたが、絶対にブサイクなので嫌だった。前にOculusやってるところも撮られたが、間抜けだしブサイクなので変なところばかり動画に撮るのをやめろという感じだった。(Oculusの動画はその後見返して笑われていた)。カラオケも行きたいねと言っていたのに、コロナだしなあとか躊躇していたらコロナが終わる前に恋愛が終わり、まじで「コロナの時代の愛」だったなこの恋愛は。『コレラの時代の愛』は途中で挫折して積んでいるけれど、コレラの時代の愛みたいに、70代になってからまた結ばれたりしないだろうか、我々は?
悲しいなあと思いながらも最後の「いつもの週末」を湿っぽくするのが嫌で、泣くのはなんとか堪えていたのだが、w-indsのForever Memoriesをカラオケで入れたら突然スイッチが入って号泣してしまい、w-indsで号泣する女は流石におかしいだろと言って(私は泣きながら)二人で爆笑してしまった。
何よりも大切だった 誰よりも愛してた
w-inds「Forever Memories」作詞:葉山拓亮
この恋を守りたかった いつも夢を見ていた
たとえ離れて暮らしても あの瞬間の二人は
いつまでも 輝いたまま 今日の日を照らすよ
※ここでw-indsの歌詞を引用するのもダサすぎるが、念のため引用しておきます、参考までに。いやしかしいい歌だよね…。
こうやって記録に残すつもりだったし、我々の恋愛の総決算・総集編として振り返りをしっかりして色々本音を聞き出そうと思っていたんだけど、何か聞こうとすれば泣いてしまうことが分かって、「いつもの週末」を台無しにするのが嫌なものだから結局ほとんど何も聞けなかった。(w-indsで号泣はしたけど)
一応振り返りをしようとデートなどの記録を辿ったけれど、「出来事」で振り返ろうとしても「どこどこに行った」とか「何何をした」とか、コロナ禍でほとんど出かけていなかった私たちに出来事はそう多くなかった。やっぱりこの週末みたいに、一緒に料理をしたり、何かを見たり、ゲームをしたり、歌ったり、踊ったり、ふざけたり、ゴロゴロしたり、笑ったり、眠ったり、後から振り返ると「何をしてたか」なんて思い出せないような、特筆すべきこともない平穏な週末が私たちの関係の中心で、書き残すのが難しい空気や感覚的なものを愛していたんだなと思った。
初めての時の硬い不器用なキス、滑らかな手のひら、撫で方、肌の匂い、眉毛、私の口癖の物真似、抱きしめる力の強さ、骨張った大きな手、時々少し高くなる声、アンニュイなキメ顔とファンサ、妙に動きのダサいダンス、私に嫌がらせをした後に見せるとびきりの笑顔、こういうことを全部覚えていられる自信がない。きっと全部忘れてしまうのだろう、それがとても寂しい。
ふと『チェンソーマン』でマキマさんがデンジの指を噛んで、「デンジ君の目が見えなくなっても 私の噛む力で私だってわかるくらいに覚えて」と言っていたシーンを思い出しながら、この人にこうやって抱きしめられるのはこれが最後なのだと、この絡めた足の重さを、私を抱く腕の重さを、なんとか忘れまいと強く願いながら味わっていた。
眠る前に彼の顔を眺めるのが好きだったと、前にもここで書いた気がするけれど、最後の夜だというのに彼の顔を眺めた覚えがない。今後の恋愛のアドバイスとして「男が眠りたがっていたら、寝かせてあげたほうがいい」と言われたにもかかわらず、ピロートークをねだって遅くまで起きていた気がするが、最後の最後にまた私は号泣して、抱きしめて宥めてもらい、その後は曖昧だ。ほとんどそのまま眠ってしまったんだろうか? 何かでまた笑ったような気もするし、笑った後に号泣したような気もする。
翌朝はまた朝食にオムレツを作ってもらって、いつものように支度をして、それぞれ昼から用事があったから一緒に家を出て、駅で別れた。別れ際に「今までありがとうね」と言ったら、泣いちゃうからやめてと言われた。
「考えようによっては、友情ならずっと続くからね」と私が言い、
「それな」と指をさす調子の良い君。
本当に友情としてこの関係性が続くのか正直私は半信半疑だけれど、仮にどこかで関係性が途切れてしまっても、この瞬間の二人が いつまでも輝いたまま 日々を照らしてくれますように。
名曲…。