しばらく日記を書いていなかったので久しぶりにwordpressにログインしたところ、このタイトルだけが埋められた真っ白な投稿画面が開かれており面食らってしまった。2月8日にわたしは何を書こうとしていたんだ? まったく記憶にございませんね、、と言いたいところだが私は不誠実な政治家ではないので、思い出せる限りのことを書いてみる。
秋の終わりに恋人が突然できてから、どうせ自粛生活で出かける当てもない私は毎週末を恋人と過ごしており、人間の三大欲求を順繰りに満たしていくようなことを繰り返している。どこかに出かけるとか/何かをするとか、特筆すべきようなことは基本的にないので(最近は公共交通機関を使わず/外食はせず/短時間でサクッと帰るという条件で多少出かけたりはしているものの)こうして後から振り返るとその週末に何をしていたのか全然思い出せなくてなんとなく寂しくなる。そういう記憶からこぼれおちやすいちょっとした会話の内容とか、怠惰な午前中の光とか、何で笑ったのかとか、未明に一人起き出して残されたときの悲しさとか、そういうものこそ覚えていたいのに、書き留めていないと全てがあっという間に遠ざかっていってしまうし、書いた時点でどうも何か違ってしまうということもまた確か。でもお前が私に桃鉄でしたひどい仕打ちのことは絶対忘れないからな、覚えてろよ。
人と交際するのがかなり久しぶりなのと、人と出会う➡︎(仲をつめる)➡︎交際する➡︎(いろいろある)➡︎別れる というプロセスを繰り返すのにほとほとうんざりしているので、この恋愛をだめにしたくない一心で(※今までだって毎回だめにしたくない気持ちで私なりに真剣に取り組んできてはいたのだが)過去の失敗やら自分の行動やら気持ちの動きやらを分析しつつ、相手を観察したり考えを聞き出そうと適宜インタビューしたりしている 。その一環で、「愛したいタイプか、愛されたいタイプか。あるいは今まで(相手に愛されるより)愛してきたか、(相手を愛するより)愛されてきたか」という話をした時、己の傲慢さを恥じながらも割と堂々と「愛されてきた」と豪語するので笑ってしまい、わたしもまた傲慢なので「私も愛されてきたし、相手の好意にずっと胡座をかいてきたので正直なところ人の愛し方がわからない」と即座に乗っかったところ「僕は最近わかってきた」と言うので(最近わかってきたのか…)と思いつつ「私はかなりいま手探りで愛している、愛そうとしている」と白状した。愛し方がわからないので手探りで愛する というの、我ながらかなり良くないですか? 実際にそれが成功しているかはさておき…。
こんな風に時折、わたしは自分がすごく根本的な部分で(世間一般の通念と比較して)間違えていることを発見してビックリするし納得するのだが、最近気づいたこととしては私は「嫉妬する」のが割と好きなんですよね。それゆえ、相手にも嫉妬してもらおうと思ってわざと嫉妬させるようなことを(親切心で)言ったりしていたようで、行動の原理はきわめてキリスト教的な「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である」(マタイによる福音書7:12 新共同訳)に則っていて善意と言っても過言ではないのだが、一般的には嫉妬は好んでするものではないので普通に迷惑である。恋人にも「※一方僕は嫉妬が趣味ではないです」と注意書きを入れられたので笑ったし、普通に申し訳なく思いました。
今日たまたま本棚にあった GATHER JOURNALの”SIN”特集の号 が目に入って、パラパラと読んでいたんだけど、(七つの大罪って英語で “Seven Deadly Sin” って言うんですね、すごい致命的じゃん。)”Envy”の項で Envy と Jealousy は違うものなんですよと書いてあって へぇ〜と思ったので引用。
While used interchangeably in our modern vernacular, envy and jealousy are not in fact one and the same: Envy is the desire for something someone else has, while jealousy is the fear of losing something you have.
GATHER JOURNAL VOL 6, ISSUE10: Winter 2017 , P83
「妬み(Envy)は誰かが持っているものへの欲望であり、嫉妬(Jealousy)は自分が持っているものを失うことへの恐怖である」
日本語の「嫉妬」はEnvy の意味でも使われるけれど、わたしはあまりEnvy は抱かないので(少なくとも抱かないと思っている)私が趣味と言っている嫉妬はひとえに Jealousy のことなんですね。とわかってなんとなくすっきりした。
Gather Journal は一応料理雑誌なので、特集のテーマが “Sin” でもそれにあわせたレシピを用意してくれていて、Envyのところでは Green with Envy cake with mocha buttercream というケーキが載っていて、シェイクスピアが嫉妬を緑色と結びつけていたのは知っていたけど Envy も緑なのか? それともシェイクスピアの時代には Jealousy とEnvy はもっと互換性があったのか? と思ったらちゃんと解説が付いていた。シェイクスピアよりもっと先に、なんとサッフォーの時代にも嫉妬は緑色だったらしい。(※正確に言うと、妬みは過剰な胆汁を発生させ、肌に緑がかった色を与えるとされていた)
Turning green with envy can be traced to the poet Sappho who used the color to describe the complexion of a forlorn lover (ancient medicine theorized that envy produced excess bile, giving skin a greenish cast). Years later, Shakespeare would tie the color to the vice in three of his works (Merchant of Venice, Antony and Cleopatra, and Othello), cementing its envious association.
GATHER JOURNAL VOL 6, ISSUE10: Winter 2017 , P93
『オセロー』というと、私の朧げな記憶によるとオセローが嫉妬に狂って妻を絞殺するきっかけになったのが確かいちご柄のハンカチで、いや流石にいちご柄のハンカチってファンシーすぎるし絶対私が『いちご100%』とごっちゃにしてるだろ、本当は何かの刺繍が入ってるぐらいのハンカチだったんだろ? なんだったんだ? と思って今日久しぶりに読み返したら本当にいちご柄のハンカチーフだったので『オセロー』は正真正銘17世紀の『いちご100%』でしたね。シェイクスピア天才すぎるだろ。